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2013年01月04日 (金) | 編集 |
杉原さんが他界して1年余りが過ぎた。
1997年に前立腺癌が発覚したとき、杉原さんがホルモン療法を拒否してゴルファーの道を選んだ時、つぶ鹿は杉原さんは死ぬ気なのだと思った。
ホルモン療法によって筋力が落ち、ゴルファーとして終わってしまうのは我慢ならなかったのだろう。

つぶ鹿はゴルフを始めた頃、杉原さんの本を読んだ。
TVのレッスン番組も見ていて、杉原さんのような技のゴルフをしたいと願っていた。
杉原さんのフォームは独特で、トップで左肘が曲がっていたし、インパクト以後も左肘が曲がり、スイング理論からしたら悪しきフォームだった。

つぶ鹿は1996年にゴルフをやめてしまったが、当時のスイング写真を見ると杉原さんと同様に左肘が曲がっていた。
それでも、杉原さんのような技のゴルフを目指した成果は何がしか出たようで、50〜60Yのアプローチをピンそばにつけるような事は時々あったし、バンカーからのカップインも2度経験したから、小技については満足している。

大技がまるでダメ夫だったので、1度90を切ったのみで、やめる直前は自ら「110の王」と称していたヘボゴルファーではあった。 m9(^Д^) www

技のゴルフ以外でも杉原さんに深く心酔したのは、ファンサービスとかルールやマナーへの徹底だった。

杉原さんはティショットやホールアウト時のカップインで観客から拍手を受けると、必ず帽子を取って頭を下げていた。
現在、そんな事をするプロがいるだろうか?
大抵は、帽子やサンバイザーの鍔に手を触れて終わりだ。

ティショットを打つと、ボールの落下地点まで全力疾走するのも杉原さんだけだろう。
尾崎将司が、バンカーショットの落としどころの芝を踏みつけているのを見た杉原さんが、「ライの改善、ペナルティだ」と指摘したのも有名な話だ。横柄な尾崎も杉原さんの前ではふんぞり返れなかったようだ。

1988年の日本プロシニア選手権でのチチ・ロドリゲスとの死闘も深く印象に残っている。
惜しくもロドリゲスに破れはしたが、翌89年、92年、95年に優勝している。

前立腺癌発覚の1997年以降は、レギュラーツアーでは予選落ちが多くなったが、2006年には68才10ケ月で世界最年長予選通過記録を樹立して話題になった。

最後に杉原さんのゴルフを見たのは2010年の中日クラウンズだった。
予選通過には遠く及ばないスコアで痛々しかったけれど、目の鋭さには杉原さんの最後の執念を見た気がした。

杉原輝雄

かつて、習志野カントリークラブでのサントリーオープンを見に行った時、雨の中、あずまやを青木功、尾崎将司が占領していて、ギャラリーが大勢取り巻いていた事があった。
杉原さんは外の林の中にいたのだが、青木はさすがに気を遣って「先輩、こっちへどうぞ」と言っていたが、尾崎は知らぬ顔だった。

杉原さんは林の中で待つハウスキャディに歩み寄って、缶飲料を渡していた。そういった心遣いも杉原さんの魅力だった。

つぶ鹿の手元には、杉原さんにサインを貰った色紙がある。
古ぼけて、シミも出ているが、つぶ鹿にとっては宝物なのだ。
杉原さんのいかにもスケベそうな笑顔を2度と見られないのは、あまりにも寂しい・・・ (T_T)

杉原サイン


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