2017年03月04日 (土) | 編集 |

或る日弟から、父親の脚がむくんで紫色に変色している、と連絡があった。


行ってみると、右足が巨峰か無花果のような色になっていて、左脚も靴下の痕がくっきりする程にむくんでいた。


これは唯事ではない、と昨年夏に受診した病院の血管外科に連れて行った。

R の右足1月31日


翌日に検査入院する事になったが、事は簡単には済まなかった。

本人は数日の検査入院のつもりなので、当初から「個室!」と言い張っていた。


個室にもいろいろあるのだが、ただ「個室」と言ったものだから一番高い10,000円 / 日のバストイレ付きの部屋になってしまった。


トイレはともかく、風呂はいらんじゃろ!と言っても「そのうち入る!」だとか「テレビで野球 (WBC?) を見たい!」と主張して「部屋を変わる気はない!」と言い張る。


おいおい、連帯保証人のつぶ鹿にはそんな支払い能力はないぞ。。。
病室をホテルと勘違いしとるのか?


入院2日目の右足、未だに無花果色だ。

R の右足2月2日. JPG

困った事に誤嚥性肺炎を併発し、主治医から悪化した場合に人工呼吸器をつけて良いか?と聞かれた。


人工呼吸器というのは、自発呼吸が出来ない人間を「無理矢理」呼吸させて生かす道具だ。

ダースベイダーのマスクのようなもので、はずしたら死んでしまう。



だからといって、つけるな、とも言えないので、救命の為なら使ってくれ、と答えた。



翌々日、病院に行ったらトイレのみの病室に変わっていた。

本人曰く、「知らない間に変わっていた」

ナースステーションの傍で、人工呼吸器が置いてあった。


おいおい、マズい状況じゃあるまいか?

人工呼吸器は使われてはいなかったが、「知らない間」というのは意識がなかったのでは??


ベッドサイドモニター  BSM-2303

ベッドサイドモニター


人工呼吸器

人工呼吸器

固形物を食べると誤嚥するので、点滴になっていた。

「ご飯食べたい。。。」

と言うのを聞いて、少しかわいそうになった。


しかし、2日後には

「元の部屋に戻る!」と騒ぎ出した。


病院側も迷惑だったらしく、主治医からは
「退院して介護に移行して欲しい」と言われた。


この頃には無花果色の脚も泥牛蒡色に改善?されていた。

牛蒡色の脚

2月15日、退院に備えてのリハビリ

2月15日のリハビリ


数日後、病棟看護師からTELがあり、本人が退院を希望し、主治医も許可したので迎えに来いという。

自力でトイレにも行ける、というのだ。



何?

突然良くなったのか?


半信半疑で迎えに行ったら、立ち上がる事も出来ず、到底退院出来る状況ではなかった。

看護師達も退院して大丈夫なのか?と心配していた。



仕方がないので、車椅子から車に乗せて帰宅した。

退院直後の R

とても置いて帰れる状態ではなかったので、泊まり込んで看る事にした。


食事の用意をしようにも、台所はゴミとホコリと油汚れとゴキブリの糞にまみれていて、とても調理出来る状態ではなかった。


布巾なんぞ湿って黄色く変色していた。


台所の隅のゴミ、他は余りに汚くて撮影不能

台所の隅


あらかじめ業務スーパーでパックご飯とレトルトの丼物を買ってあったが、電子レンジも内部は上下左右飛び散ってひからびた食品の屑がこびりついていた。


どうにか調理?してみたが、父親は殆ど食べられない。


20時頃から寝てしまい、4時半頃まで大イビキをかいて眠っていた。
時折力強く放屁して、到底病人とは思えない滑稽な様子に思えた。


しかし、すぐにそれが甘い認識だったと知る事になる。。。

       ( ;´Д`)

恐ろしく寒い家で、つぶ鹿はダウンに手袋、ニット帽、腰と脚には毛布を巻いてソファに座って居たが、寒くて震え上がっていた。


4時半を過ぎた頃、父親は突然「トイレ!」と言った。


慌てて起こしたら、見事に失禁していた。

おむつをしていたのだが、効果無かった。

シーツと敷き布団をのけて、おむつとパジャマを替えた。


結局、つぶ鹿はこの夜は一睡もできなかった。


朝の室温は5度、父親は掛け布団がないので毛布6枚かけていたが、何れも湿っていて矢鱈重かった。

朝食はビール酵母パンを持って来てあったので、父親はトーストして明治おいしい牛乳とともに食した。

つぶ鹿はビール酵母パンひと切れと野菜ジュース。


次の夜に備えて、隣のつぶクリから電気毛布を2枚もってきて父親と自分で使う事にした。


夕方、一度家に帰って風呂と食事、買い物をして2時間くらいでとんぼ返り。


夕食はパックご飯とレトルトの親子丼風、ポテトサラダ。

親子丼風は余り食べなかったが、ポテトサラダは完食した。


この頃から、痰というか山芋をすり下ろしたような白濁した粘液を吐き出すようになった。


前夜のようにイビキをかいて眠る訳でもなく、何度も粘液を吐き出していた。



午前3時頃、「トイレだ、間に合わないからここにする!」と言い出した。


駄目だ、トイレに行こう、と抱き起こそうとするのだが、つぶ鹿が前方から両脇に腕を入れると何故か右を巻き換えて右四つになろうとして暴れる。

       ( ̄◇ ̄;)

90を過ぎているのに、つぶ鹿より体格がいいので抱き起こすのは至難の業だ。


「俺はもう死にたいんだ!」と騒ぐので、

「生きなきゃ駄目だ!100まで生きてわしらに迷惑かけてみなさいよ!」

といい聞かせながら、右四つから浴びせ倒されそうになるのを辛うじてこらえてトイレまで連れて行った。


大騒ぎしてトイレまで行ったけれど、尿は出ない。

うんち君は出そうだ、と言うので排便するまで待って寝床に戻った。


つぶ鹿は鼠径ヘルニアの手術後、当分は重い物を持ってはいけない、と言われていたのだが、この指し手争いの結果手術創付近がズキズキと痛んだ。


電気毛布のおかげで震え上がる事はなかったが、結局この夜もほぼ一睡もできなかった。


翌朝は父親はトーストは殆ど食べず、牛乳を少し飲んだだけ。
つぶ鹿はトースト1枚と野菜ジュース。


夕方、再び家に帰って風呂と食事して1時間半くらいで戻る。

家で寝たい、家で自作パンの朝食を食べたい、と思うが無理だった。


連れ合いがニトリでつぶ鹿が使っているのと同じ軽くて暖かい掛け布団を買って来たので、湿って重い毛布は何枚か取り除いた。


夕食には父親が挑戦したいと言っていた粥 (レトルトだが) と雑炊の素を買って戻った。


夕食は梅粥にしたが、父親は「味がしない」と言って、2〜3口でやめてしまって「寝る!」と言って床に入ってしまった。


午前2時頃だったか、父親の様子がおかしいので体を起こしてみたら、パジャマもおむつも脱いでしまっていて、下半身スッポンポンだったのには笑ってしまった。


午前4時を回った頃、突然
「明日はアイスクリームを食べたい」と言い出した。


この夜も6時頃から30分くらい眠っただけで、つぶ鹿の疲労も限界に達していた。


父親は朝食に牛乳のみ少し飲んだだけだった。


つぶ鹿は父親と同居している (筈の) 弟に、もう泊まり込みは無理だ、今夜から夜の間は帰宅する、と宣言した。


そして父親の許に戻ったら、コーヒーのような茶色の液体を吐いている事に気付いた。


むむ、これはまずそうだ。。。

茶色の液体を吐くのは消化器系のどこかに出血があって、血液が胃酸で酸化したものらしい。


急遽、3日前まで入院していた病院の内科へ連れて行き、即入院となった。



父親は病室のベッドでは、粘液を吐き出すわけでもなく、安らかに眠っているように見えた。

看護師の説明を聞き終わって病室に行くと、まだ眠っていた。


14時を過ぎて主治医の説明も聞き終わり、3日徹夜の上に、前夜から口にしたのは韓国チョコパイ1個だったので流石に疲労困憊、この日は帰る事にした。


病室を見に行くと、父親は目を覚ましていて

「髭を剃りたい」と言った。


うん、うん、明日剃りに来るからね。

と言って、ベッドを離れようとしたら


これまで見た事も無い優しい目に涙を溜めながら

左手の親指と人差し指で丸を作ってみせた。



ん?

OK?

それともカネ?

まさか、こんな時にトランプの真似で受けを狙った・・・?



どうしたの? と顔を近づけて聞いたら

消え入りそうな弱々しい声で

「ありがとう・・・」 と言った。



続いて、◯ ◯ (弟の名前) を言って

再び親指と人差し指で丸を作った。


今度は何? と聞いたら

「◯ ◯ に、ありがとう・・・」と答えた。



分かった、明日来るからね、と言ってベッドから離れると

父親は小さく手を振ってみせた。



帰宅してからは正直、ホッとした気持ちだった。

これで家で寝られるのだ、と思いつつ
ビールと清酒を少し飲んだ。


ただ、最後の父親の言葉がどうにも気になって
嫌な予感が脳裏をかすめた。


明日に備えて電気シェーバーの手入れを終わった19時16分、病院から危篤だからすぐ来い、とTELが来た。


病院に着くと、主治医が人工呼吸をしており、
ベッドサイドモニターの画面を指して、心停止していると宣言した。


病院側の話では、気がついたら呼吸をしていなかった、との事だったので、苦しむ事も無く、安らかに旅立ったのだと思いたい。



あの優しい目と涙、そして「ありがとう・・・」の言葉は死期を悟った父親の最後のメッセージだったのだ (T_T)




あらかじめ決めてあった、火葬のみの直葬を行う業者にTELして特に慌てる事なく亡骸を移動出来た。


こうして、つぶ鹿の「老々介護」は4日で終わった。

もう1日続いていたら、こちらが倒れていたかも知れない。




・・・と一息入れる事は出来なかった。


2日後に火葬が決まったのだが、あろう事かその前夜につぶ鹿は心房細動の発作を起こし、父親の火葬に行けなかったのだ。。。


時折起きる発作の持続時間は当初は1時間くらいだったのが、3時間、5時間、8時間と伸びて行って今回は14時間続き、一時はこのまま死ぬんじゃないかと思った。



この続きはいつか書けるかも知れないが、今は書く気にはなれない。


いつの日か、つぶ鹿が死を悟った時に、父親のような優しい目を出来るのだろうか?




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