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2017年04月21日 (金) | 編集 |
前回の記事で、YouTube のHans Rosbaud 指揮 SWF 交響楽団とされる演奏、つぶ鹿の疑い通りに別物の演奏だった。

この動画をアップしたドイツ人?、とんでもない野郎だわ。

マタチッチ指揮 ミラノRAI交響楽団のブルックナー 交響曲第5番のついでに買ってみたのだ。

マタチッチ Bru 5

HMVではこのCDが1962年と表記されているが、注文して届いたのは1953年のモノラル録音だった。

Rosbaud No5

多分、騙されていると知りつつ、このCDを加えないと送料378円がかかるので敢えて注文したのだ。

CD自体は825円なので、447円で買ったと思えば別に腹も立たない。

モノラル録音だが、24bit 96kHzマスタリングで音質も演奏も決して悪くはない。


では、YouTube のHans Rosbaudとされる演奏は誰のものか?


「どこかで聴いたような」演奏と書いたが、どうもPart 1で紹介したルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルのようなのだ。


この演奏は、YouTube からは削除されているし、CDは廃盤、レコードは2セット持ってはいるが、レコードプレーヤーを接続している装置はアンプが壊れて聴けないので確証はないが。


それにしても、1953年のモノラル録音を1962年 (当然ステレオ録音) と称して売るHMVの体質には腹が立つぜ  ヽ(`Д´)ノ  



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2017年04月06日 (木) | 編集 |
とうとうPart 4になってしまった。

そろそろ本命?の第8番について書きたいのだが、第5番の話題がなかなか尽きない。

YouTube で良い演奏を発見した。

Max McBride 指揮 Bruckner Orchestra Sydney という演奏だ。

指揮者もオケも全然知らないし、オケも巧くはないが演奏はかなり良い。

楽員が若者ばかりなので、学生オーケストラのようなものか?

第1楽章


第1楽章は徹頭徹尾暗い。
当時のブルックナーは第3番の初演が悪評まみれで、失意のどん底にあった。

この楽章の聴き所は第1主題の展開だろう。

金管の咆哮、ティンパニの激しい打ち込み、これこそブルックナーの孤独の叫びではないかと思う。

この第1主題は終楽章の最後にも現れて、全曲を締めくくる事になる。

第2楽章


冒頭は第1楽章の暗さを引き継いだような、重い足取りのごとき弦のピチカートで始まり、オーボエが吹く第1主題も相変わらず暗いが、それに続く第2主題の深い響きが素晴らしい。

提示部では荘厳だったこの主題が、再現部では低弦の穏やかなピチカートを伴って現れる部分や、それに続く木管の寂しい掛け合いが心を惹く。
終わりそうで終わらない、最後の部分がやや冗長なのが惜しい。

第3楽章


冒頭の音形が第2楽章冒頭のテンポを速めたものだが、曲想が次々と変わって行く変化が面白い。
中間部初めのホルンのソロが場違いなくらいに牧歌的で、別の曲が始まったかと思う程だ。

第4楽章


Part1にも書いたのだが、この楽章はベートーヴェンの第9番の影響が強く感じられる。

冒頭は第1楽章の導入部の回想で、クラリネットの動機がこれを遮る。

この動機がベートーヴェン第9番のスケルツォの動機に似ている。

続いて第1楽章第1主題の回想をクラリネットの動機が遮る。

更に第2楽章第1主題が現れると、クラリネットの動機が強く否定する。

この辺もベートーヴェンの第9番の終楽章の初めに似ている。

そして、クラリネットの動機に基づくフーガ主題が始まり、低弦から高弦へと移って行く。

第2主題は牧歌的な田園舞曲のような主題で、のんびりと甘い夢に浸っているような曲想だ。

眠りに落ちそうになった時、突然、フーガ主題の動機に基づくフォルティシモの嵐が現れ、聴く者は甘い夢から覚醒させられる。


これもベートーヴェンの第9番の終楽章の冒頭に良く似ている。

弦の上昇音形はまるで大宇宙に飛翔する火の鳥のようで、牧歌的な田園風景から遠い別世界に連れ去られたようにさえ感じる。


フォルティシモの嵐が静まると、金管がこの楽章の、というよりもこの曲の核心といえるコラールを厳かに吹く。

あたかも火の鳥に連れられて行った世界で、究極の音楽を見いだしたかのようだ。


展開部は弦によるコラール主題のフーガで始まる。

まるで何枚もの透明な曼荼羅を重ねて見るようなフーガだ。

やがて、コラール主題のフーガの中にフーガ主題のリズムが加わっていき、遂に金管がコラール主題、弦がフーガ主題という2重フーガに発展する。

2重フーガもベートーヴェンの第9番の終楽章と同じだ。

あたかも2つの銀河が衝突したかのような壮大な2重フーガだ。

ブルックナーの音楽は宇宙的だ、と言われたりするのだが、この部分を聴くと最早人間の世界ではないように思えるのだ。


2重フーガの展開部の後は第2主題の再現を経て、結尾部に入る。


ここでは核心の筈のコラール主題が姿を消して、第1楽章第1主題とフーガ主題が絡み合って行く。

聴く者はコラール主題が消えて困惑し、遂にフーガ主題が金管のフォルティシモで現れた時にはこのままフーガ主題主導で終わってしまうのか、と思ってしまう。


次の瞬間、金管が高らかにコラール主題を吹き鳴らし、フーガ主題は低弦に移って陰になる。


「ブルックナーは神を観た」などと解釈する人々もいるが、
この曲で最も素晴らしい場面だ。

名演とされるものでも、ここで感動出来る演奏は極めて少ないのが残念だ。


最後はブルックナーの交響曲の常套手段で、第1楽章第1主題で全曲を締めくくる。


つぶ鹿は疲れた時、いつもこの終楽章を聴いて活力を取り戻すのだ。


Bruckner Orchestra Sydney の金管はしばしば音を外すが、余り気にならない。

透明な弦、渋い金管というブルックナーの響きを出しているので、致命的にはならないのだ。

ブルックナーの作品に対する愛情や共感があればこそ出来る事だろう。

巨匠と言われる指揮者と一流オーケストラの演奏でも、これより酷いものが山ほどある。



しかし、終演後の拍手喝采の下品さはどうだろう。

英国から島流しにされた犯罪者の末裔から始まった国だけの事はある。



などと書いている間に、また良い演奏を発見した。

Hans Rosbaud 指揮 SWF 交響楽団


YouTube には1953年とあるが、その時代にはステレオ録音はなかった筈なので、1962年の録音と思われる。

最初に聴いた時、およそ抵抗がないのには驚かされた。

どんな名演でも、聴いていてどこかに抵抗があって、それさえなければと思うものなのだが、この演奏には殆ど抵抗がない。

どこかで聴いたような、まるでつぶ鹿の理想の演奏のように聞こえる。

強いてケチをつけるならば、最後のコラール主題を吹く金管がやや粗い、という程度だ。

これは驚くべき事だ。

同じ指揮者とオケの1950年代から60年にかけての7番、8番も少し聴いたのだが、悪くはないがかなり抵抗があった。

到底、同じ指揮者とは思えない程だ。


わずか数年でここまで高められるものなのだろうか。

「どこかで聴いたような」演奏という事は、つぶ鹿の知っている別の演奏なのかも知れない。


YouTube のコメントにも、これは1953年のものではない、というドイツ語の書き込みがあった。


真実を知る為に、HMVでこのCDを注文した。

その演奏が YouTube のものと同一であれば、つぶ鹿にとって宝物になるだろう。


興味深い事に今回取り上げた2つの演奏は、何れも第2ヴァイオリンを指揮者の右に置く、対向配置になっている事だ。

Part 1で紹介したケンペ / ミュンヘン・フィルとブロムシュテット / ゲヴァントハウス管弦楽団も対向配置だった。

具体的には左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンとなる。

対向配置は昔風の配置だそうで、最近は左から
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラとする指揮者が多いようだ。 ( ドイツ式というらしい )

稀に第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとする指揮者もいて、アメリカ式というらしい。

チェロのような大型楽器がステージの最前列にいるというのは美しくないので、つぶ鹿の美学では問題外だ。

つぶ鹿は対向配置を好んでいる。

ドイツ式やアメリカ式では聞こえ難い第2ヴァイオリンとヴィオラの音形が良く分かるからだ。




2017年04月01日 (土) | 編集 |
父親の家の台所の隅に大量に置かれていた牛乳パックはM治の「おいしい牛乳」だった。

近所のスーパーでは税抜248円、つぶ鹿がいつも買っているM永のものは税抜158円だ。

牛乳といっても、我が家で使うのはカフェオレとカボチャのクリーム煮だけなのだ。

税抜158円のもので十分、と思っていたのだが、父親亡き後に冷蔵庫にあった「おいしい牛乳」持ち帰って使ってみたら、安物とは明らかに違う。

M永の158円と比べると、明らかに色が濃く、牛乳と生クリームの差のような違いがある。

カフェオレに使ってみても圧倒的な差がある。

成分を見ると、脂質の量が倍以上違う。

M治おいしい牛乳 成分

M永の牛乳 成分

生クリームでも乳脂肪分の違いで明らかな差があるのだが、牛乳同士でも大差があるのだ。


というわけで、我が家でもM治の「おいしい牛乳」を使うようになった。

父親の形見?が牛乳とは情けないものがあるのだが、これを見る度にしょうもなっかった父親を思い出す事になるのだろうか。