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2017年07月01日 (土) | 編集 |
最近、第5番のCDを3セット買った。


マタチッチ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

マタチッチ5

つぶ鹿が最初に買った第5番のレコードがマタチッチ/チェコフィルだった。


レコードが聴けなくなって何年も経ち、久々にCDで聴いたのだが・・・


マタチッチの第5番は4種類持っているが、どれも決して良いとは言えない。


N響盤(1967)、チェコ・フィル盤(1970)、ミラノRAI盤(1983) は何れも悪名高いフランツ・シャルク改訂版からの引用があり、終楽章のコーダでティンパニ、トライアングル、シンバルを加えたりしてチンドン屋のような安っぽい響きになるのがいただけない。



あの金物の響きはどう聴いてもブルックナーではなく、ワーグナーだ。


フランツ・シャルク改訂版自体が、ワーグナー風のアレンジで一般受けを狙ったものなので、当然と言えば当然だが。。。


改訂版とは違うところで変なカットをするのも理解に苦しむ。

カットの箇所は3つとも異なっている。


突然、音楽がワープするので、何事が起きたか?と思う程だ。


それでも、N響盤の第2楽章は愛聴している。

オーケストラが下手なのが誠に残念だ。


フランス国立管盤(1979)は、概ね原典版に従っているのだが、それが却ってマタチッチらしさを欠くようにも思える。


4種の中では最も特徴の無い演奏だが、それが良いという意見もあるだろう。



ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセウトヘボウ管弦楽団

ヨッフム5

巷では名演との評判が高いが、つぶ鹿には特に良いとは思えない。


ヨッフムのブルックナーにはベルリン・フィル / バイエルン放送交響楽団と、ドレスデン国立管弦楽団の全集があり、両方持っているが、滅多に聴く事は無い。


ヨッフムという指揮者は、軟弱で生温い演奏をする事が多いのだが、そうかと思うと突然に猛烈な加速をかけたりして、著しくブルックナーを損なっていると思う。


コンセウトヘボウ管弦楽団を指揮した4〜8番では、大きなテンポの変化が影を潜め、比較的インテンポで進行するのは良いのだが、魅力があるのか?といえば「ない」と云わざるを得ない。


件の第5番だが、金管の響きが終始やや汚く、特に終楽章コーダのコラール主題に感動出来ないのが痛過ぎる。


ヨッフムの第5番では、同じく金管の響きが汚いが、ドレスデン国立管弦楽団盤を採りたい。



ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

ケンペ5

Part1でつぶ鹿が「最も気に入っていて、抵抗の少ない演奏」と評したもの。


レコードは 2セット持っているのに、CDは廃盤で入手できないでいたが、HMVの中古で発見、即購入した。


Part 4 と「やはり騙されたわ。。。 ( ;´Д`)」で書いた YouTube の Hans Rosbaud 指揮 SWF 交響楽団 とされる演奏は、このケンペ / ミュンヘン・フィルと確認した。


この演奏は、聴いていてとにかく抵抗が無い。


つぶ鹿の考えるブルックナー 交響曲第5番 変ロ長調の理想像に最も近いものだ。


ブルックナーの第5番は23種類所有しているが、このケンペ / ミュンヘン・フィルの演奏を決定盤として、長々と続いた交響曲第5番の最終回としよう。




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2017年04月21日 (金) | 編集 |
前回の記事で、YouTube のHans Rosbaud 指揮 SWF 交響楽団とされる演奏、つぶ鹿の疑い通りに別物の演奏だった。

この動画をアップしたドイツ人?、とんでもない野郎だわ。

マタチッチ指揮 ミラノRAI交響楽団のブルックナー 交響曲第5番のついでに買ってみたのだ。

マタチッチ Bru 5

HMVではこのCDが1962年と表記されているが、注文して届いたのは1953年のモノラル録音だった。

Rosbaud No5

多分、騙されていると知りつつ、このCDを加えないと送料378円がかかるので敢えて注文したのだ。

CD自体は825円なので、447円で買ったと思えば別に腹も立たない。

モノラル録音だが、24bit 96kHzマスタリングで音質も演奏も決して悪くはない。


では、YouTube のHans Rosbaudとされる演奏は誰のものか?


「どこかで聴いたような」演奏と書いたが、どうもPart 1で紹介したルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルのようなのだ。


この演奏は、YouTube からは削除されているし、CDは廃盤、レコードは2セット持ってはいるが、レコードプレーヤーを接続している装置はアンプが壊れて聴けないので確証はないが。


それにしても、1953年のモノラル録音を1962年 (当然ステレオ録音) と称して売るHMVの体質には腹が立つぜ  ヽ(`Д´)ノ  



2017年04月06日 (木) | 編集 |
とうとうPart 4になってしまった。

そろそろ本命?の第8番について書きたいのだが、第5番の話題がなかなか尽きない。

YouTube で良い演奏を発見した。

Max McBride 指揮 Bruckner Orchestra Sydney という演奏だ。

指揮者もオケも全然知らないし、オケも巧くはないが演奏はかなり良い。

楽員が若者ばかりなので、学生オーケストラのようなものか?

第1楽章


第1楽章は徹頭徹尾暗い。
当時のブルックナーは第3番の初演が悪評まみれで、失意のどん底にあった。

この楽章の聴き所は第1主題の展開だろう。

金管の咆哮、ティンパニの激しい打ち込み、これこそブルックナーの孤独の叫びではないかと思う。

この第1主題は終楽章の最後にも現れて、全曲を締めくくる事になる。

第2楽章


冒頭は第1楽章の暗さを引き継いだような、重い足取りのごとき弦のピチカートで始まり、オーボエが吹く第1主題も相変わらず暗いが、それに続く第2主題の深い響きが素晴らしい。

提示部では荘厳だったこの主題が、再現部では低弦の穏やかなピチカートを伴って現れる部分や、それに続く木管の寂しい掛け合いが心を惹く。
終わりそうで終わらない、最後の部分がやや冗長なのが惜しい。

第3楽章


冒頭の音形が第2楽章冒頭のテンポを速めたものだが、曲想が次々と変わって行く変化が面白い。
中間部初めのホルンのソロが場違いなくらいに牧歌的で、別の曲が始まったかと思う程だ。

第4楽章


Part1にも書いたのだが、この楽章はベートーヴェンの第9番の影響が強く感じられる。

冒頭は第1楽章の導入部の回想で、クラリネットの動機がこれを遮る。

この動機がベートーヴェン第9番のスケルツォの動機に似ている。

続いて第1楽章第1主題の回想をクラリネットの動機が遮る。

更に第2楽章第1主題が現れると、クラリネットの動機が強く否定する。

この辺もベートーヴェンの第9番の終楽章の初めに似ている。

そして、クラリネットの動機に基づくフーガ主題が始まり、低弦から高弦へと移って行く。

第2主題は牧歌的な田園舞曲のような主題で、のんびりと甘い夢に浸っているような曲想だ。

眠りに落ちそうになった時、突然、フーガ主題の動機に基づくフォルティシモの嵐が現れ、聴く者は甘い夢から覚醒させられる。


これもベートーヴェンの第9番の終楽章の冒頭に良く似ている。

弦の上昇音形はまるで大宇宙に飛翔する火の鳥のようで、牧歌的な田園風景から遠い別世界に連れ去られたようにさえ感じる。


フォルティシモの嵐が静まると、金管がこの楽章の、というよりもこの曲の核心といえるコラールを厳かに吹く。

あたかも火の鳥に連れられて行った世界で、究極の音楽を見いだしたかのようだ。


展開部は弦によるコラール主題のフーガで始まる。

まるで何枚もの透明な曼荼羅を重ねて見るようなフーガだ。

やがて、コラール主題のフーガの中にフーガ主題のリズムが加わっていき、遂に金管がコラール主題、弦がフーガ主題という2重フーガに発展する。

2重フーガもベートーヴェンの第9番の終楽章と同じだ。

あたかも2つの銀河が衝突したかのような壮大な2重フーガだ。

ブルックナーの音楽は宇宙的だ、と言われたりするのだが、この部分を聴くと最早人間の世界ではないように思えるのだ。


2重フーガの展開部の後は第2主題の再現を経て、結尾部に入る。


ここでは核心の筈のコラール主題が姿を消して、第1楽章第1主題とフーガ主題が絡み合って行く。

聴く者はコラール主題が消えて困惑し、遂にフーガ主題が金管のフォルティシモで現れた時にはこのままフーガ主題主導で終わってしまうのか、と思ってしまう。


次の瞬間、金管が高らかにコラール主題を吹き鳴らし、フーガ主題は低弦に移って陰になる。


「ブルックナーは神を観た」などと解釈する人々もいるが、
この曲で最も素晴らしい場面だ。

名演とされるものでも、ここで感動出来る演奏は極めて少ないのが残念だ。


最後はブルックナーの交響曲の常套手段で、第1楽章第1主題で全曲を締めくくる。


つぶ鹿は疲れた時、いつもこの終楽章を聴いて活力を取り戻すのだ。


Bruckner Orchestra Sydney の金管はしばしば音を外すが、余り気にならない。

透明な弦、渋い金管というブルックナーの響きを出しているので、致命的にはならないのだ。

ブルックナーの作品に対する愛情や共感があればこそ出来る事だろう。

巨匠と言われる指揮者と一流オーケストラの演奏でも、これより酷いものが山ほどある。



しかし、終演後の拍手喝采の下品さはどうだろう。

英国から島流しにされた犯罪者の末裔から始まった国だけの事はある。



などと書いている間に、また良い演奏を発見した。

Hans Rosbaud 指揮 SWF 交響楽団


YouTube には1953年とあるが、その時代にはステレオ録音はなかった筈なので、1962年の録音と思われる。

最初に聴いた時、およそ抵抗がないのには驚かされた。

どんな名演でも、聴いていてどこかに抵抗があって、それさえなければと思うものなのだが、この演奏には殆ど抵抗がない。

どこかで聴いたような、まるでつぶ鹿の理想の演奏のように聞こえる。

強いてケチをつけるならば、最後のコラール主題を吹く金管がやや粗い、という程度だ。

これは驚くべき事だ。

同じ指揮者とオケの1950年代から60年にかけての7番、8番も少し聴いたのだが、悪くはないがかなり抵抗があった。

到底、同じ指揮者とは思えない程だ。


わずか数年でここまで高められるものなのだろうか。

「どこかで聴いたような」演奏という事は、つぶ鹿の知っている別の演奏なのかも知れない。


YouTube のコメントにも、これは1953年のものではない、というドイツ語の書き込みがあった。


真実を知る為に、HMVでこのCDを注文した。

その演奏が YouTube のものと同一であれば、つぶ鹿にとって宝物になるだろう。


興味深い事に今回取り上げた2つの演奏は、何れも第2ヴァイオリンを指揮者の右に置く、対向配置になっている事だ。

Part 1で紹介したケンペ / ミュンヘン・フィルとブロムシュテット / ゲヴァントハウス管弦楽団も対向配置だった。

具体的には左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンとなる。

対向配置は昔風の配置だそうで、最近は左から
第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラとする指揮者が多いようだ。 ( ドイツ式というらしい )

稀に第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとする指揮者もいて、アメリカ式というらしい。

チェロのような大型楽器がステージの最前列にいるというのは美しくないので、つぶ鹿の美学では問題外だ。

つぶ鹿は対向配置を好んでいる。

ドイツ式やアメリカ式では聞こえ難い第2ヴァイオリンとヴィオラの音形が良く分かるからだ。




2016年10月01日 (土) | 編集 |
つぶ鹿はホルンという楽器が好きだ。

中でも、ウィーンフィルが使っているウィンナホルンの音色の素晴らしさに惹かれている。

ウィンナホルンは構造が旧式で、バルブの無いナチュラルホルンに近い音色を持っているとされる。


ウィンナホルン
ウィンナホルン

フレンチホルン
フレンチホルン



ブルックナー 交響曲第9番
シューリヒト指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団



冒頭から50秒位に始まるホルンの動機の音色が素晴らしい。
他のオーケストラからは絶対に聞けないものだ。

ウィンナホルンのもう一つの特徴は、フォルテで音が割れやすく、余り音量を上げずにフォルティシモのごとき響きが出せる事だ。


ベートーヴェン 交響曲第3番 英雄
フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団



終楽章のコーダでフォルティシモになるところで、トロンボーンのように音を割るウィンナホルンの咆哮が凄まじい。


この演奏を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。

      ガ━━━━(゜Д゜;)━━━━ン!!!! 


同年の1952年、 ベートーヴェン 交響曲第3番 英雄
フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団



こちらは普通のフレンチホルン。
ウィンナホルンの熾烈な音色とは全く異なるのが良くわかる。


ところが。。。  (;´Д`)


1970年代の後半あたりから、ウィーンフィルのホルンから熾烈さが無くなって来た。
最近では他のオケのホルンと余り違わなくなったように思う。


同じウィーンのオケでも、ウィーン交響楽団はウィンナホルンを使っていないらしいのだが、ウィーンフィルの楽器も変わったのだろうか・・・

そういえば、昔々ウィーンフィルの楽員が「ヤマハのホルンは音が割れない」と言っていた、という記事を思い出した。


いろいろ調べた結果、ウィンナホルンの製造や修理をするメーカーが次々と廃業して、ヤマハがウィンナホルンを作るようになったらしい。

それが1970年代の半ばだというのだ。

つぶ鹿が、ウィーンフィルのホルンから熾烈さが無くなった、と感じた時期と一致している。

音が割れなくなった代わりに、熾烈さを失ったのか。

「角を矯めて牛を殺す」とはこういう事なのだろう。


ヴァイオリンの世界ではストラディバリウスのような名器は現代人には作れないらしいが、ウィンナホルンも同じ道を辿るのか。。。


ウィンナホルンの素晴らしい音色を聴くためには、1950年代後半のステレオ録音初期から、1970年代初めまでのウィーンフィルの録音を集める以外にないようだ。
  
         ( ´゚д゚`)



2016年06月23日 (木) | 編集 |
昨年5月に書いたPart 2でギュンター・ヴァントの演奏を余り高く評価していないが、彼の名誉のために追加しておきたい。

1970〜1980年代の演奏は良かった。


1979年 NHK交響楽団



かつてNHKFMで放送され、つぶ鹿は第4楽章だけカセットに録音して愛聴していた。
改めて聴いてみると、後年の人工的な弱音がなく、金管の強奏やティンパニの強打が豪快でかなりの名演だった。

N響は強奏部でも汚い音を出さず、到底N響とは思えない透明な響きを出している。

ヴァントの第5番としてはつぶ鹿が最も気に入っている演奏だ。


1974年 ケルン放送交響楽団



N響盤より更に前の演奏で基本的にはN響盤に近いが、金管の咆哮が五月蝿くなる寸前で留まっている、という印象だ。

この響きを耳障り、五月蝿いと感じる人もいるだろうが、「俺のブルックナーはこうだ。文句あっか!」と言わんばかりの演奏には「遅れて来た巨匠」と言われた晩年には失われてしまったものが有るように思う。


1989年 北ドイツ放送交響楽団



1970年代のケルン盤、N響盤と1990年代のミュンヘン盤、ベルリン盤の間に位置する解釈だと思う。

金管やティンパニがやや大人しくなり、やんちゃ坊主がゆとり世代になったかのような、良く言えば中庸、悪く言えば特徴を欠く演奏という感じだ。

名演だとは思うが、いまひとつ印象が希薄な気がする。

手兵の北ドイツ放響という事もあって、指揮者の意思がオーケストラに十分伝わっていて、これが一番と受け取る人も当然いるだろう。


1991年 ベルリン•ドイツ放送交響楽団



上記89年盤よりも金管を強奏して、70年代のスタイルに近いように思う。

オーケストラの特質のせいか、録音のせいか、その金管がやけに汚く聴こえる。
若き日のスタイルを踏襲しようとしても、似て非なる物になってしまったのだろうか。

ヴァントの第5番としては最も中途半端な存在と感じる。



1995年 ミュンヘン•フィル



翌年のベルリン•フィル盤に近い解釈だが、同じミュンヘン•フィルでもチェリビダッケの演奏と比べるとオーケストラをコントロールし切れていないもどかしさが有る。

オーケストラの技量ではベルリン•フィルに劣るかも知れないが、ティンパニ奏者の気迫の凄まじさが聴き所だ。

あまりにも豪快で、終楽章のコーダではティンパニが強すぎてコラール主題が聴き難いが、このティンパニ奏者の活躍がなかったらベルリン•フィル盤の陰に隠れて存在感の薄い演奏になったと思われる。



YouTubeをいろいろ見て行くと、未知の指揮者に出会う事がある。
大抵はつまらない演奏なのだが、↓ この演奏には驚かされた。

ガブリエル•フムラ指揮 
ワルシャワ•フィルハーモニー管弦楽団



フムラという指揮者は全く知らなかったし、どことなく俳優のリック•モラニスに似ていて ww、到底良い演奏をするとは思わなかったのだが。。。。

調べたら、80〜90年代にはN響に客演していたらしい。

5分程聴いて、これはかなりの名演だと気づいた。

弦と木管の音色が透明で、金管は渋い響きを出している。
強奏部でも響きが混濁せず、何よりも聴いていて抵抗が無い。

最後にコラール主題が鳴り響くところでは、感動で胸が熱くなった。

この感触は余程良い演奏を聴かない限り得られないものだ。


終演後、フムラの容姿がリック•モラニスからロリン•マゼールに変わったように思えた w w w

昔からブルックナーを得意とする指揮者は80過ぎの年配ばかりだったが、現在70歳のフムラが数々の名演を残して欲しいものだ。



2015年05月16日 (土) | 編集 |
Part 2 を書き始めるまで40日近くかかってしまった。
いろいろな演奏を改めて聴くので、それなりに大変だ、と言い訳しておく。

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

クナ 5
  
クナッパーツブッシュにはウィーン・フィルハーモニーを指揮した演奏もあるのだが、こちらの方が強烈な印象だ。

フランツ・シャルクによる改訂版を使用。

改訂版は全曲に渡って使用楽器、奏法、強弱等が書き換えられているのだが、ブルックナーが書いた楽譜と比べて、終楽章で特に耳障りな違いは

1 . コラール主題を吹く金管の一部を木管に変更
2 . コラール主題によるフーガの冒頭を弦からホルンに変更
3 . 2重フーガの最後の部分から第2主題再現までをカット
4 . コーダでシンバル、トライアングル、ブラスバンドを加え、ティンパニがフーガ主題のリズムを強打する

1〜3も許し難い変更だが、4 は響きが薄っぺらで安っぽくなる上に、コラール主題が現れてフーガ主題が影になる、という流れを著しく損なっている。

いずれもブルックナーの作品とは言えない程、酷い改竄という他ない。
ブルックナーの主題による変奏曲とでも言いたい程だ。

最初に出版されたのがこのシャルク改訂版で、数十年もの間ブルックナーの作品とされていた、という事実には呆れるばかりだ。

それでもクナの演奏自体は凄いので、時折聴いてしまうのだが。。。

改訂版


原典版


指揮者によっては原典版を使いながらも、ティンパニだけは改訂版の変更に従う演奏もある。

つぶ鹿が知る限りでは、ロジェストヴェンスキー、ケーゲル、スタインバーグがこの手法を用いている。
シンバルとトライアングルがないだけ改訂版よりは幾らかマシだが、フーガ主題のリズムが耳障りな事も確かだ。




ギュンター・ヴァント指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  
Wand 5

ブルックナーファンの間では決定的名盤、とする声が少なくないようだ。

確かに名演だとは思うが、つぶ鹿としては一部大きな抵抗があってNo.1には置けない。

ヴァントという人は時折、妙に作為的で不自然な弱音を用いるのだが、つぶ鹿には耐えられるものではない。
ヴァントの演奏をいろいろ聴いた結果、この弱音は到底容認出来ないという結論に達した。

この演奏でも、終楽章のコラール主題でこれをやってしまい、ぶち壊しにしてしまった。
コラール主題の途中で突然力が抜けてしまうのだ。
因に、楽譜には弱音の指定は無い。

終楽章の最後、コラール主題が現れる所でテンポをあげるのも良くない。

この演奏の直前にミュンヘン・フィルを指揮したものもあるのだが、解釈は同様だ。
但し、チェリビダッケの項に書いたペーター・ザードロと思われるティンパニの打ち込みは凄い。

それ故、つぶ鹿としてはベルリン・フィル盤よりもミュンヘン・フィル盤を採りたい。


セルジュ・チェリビダッケ指揮 
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団


Part 1 に書いた演奏とは別の、海賊盤。
正規盤よりテンポの変化が少なく、チェリビダッケの5番としてはこちらを本命に推したいが、入手できるかどうかは知らん。



 ↑ この演奏と同じではないかと思うが、詳しくは検証していない。

交響曲第5番をいろいろ聴いていると、コラール主題のイメージが指揮者によってかなり異なる事に気付く。

金管のバランス次第でまるで別の音楽のように聴こえるくらいだ。

チェリビダッケはトランペット主体で軽めで美しいコラールだが、朝比奈やクナッパーツブッシュはトランペットを抑えてトロンボーンとチューバを強調するのでかなり重々しい。


オイゲン・ヨッフム指揮
ドレスデン国立管弦楽団

Johum 5

ヨッフムの5番は、バイエルン放送交響楽団盤とこの演奏を所有しているが、本命とされるアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との演奏は廃盤で聴いた事が無い。

ドレスデン盤もなかなかの名演だと思うのだが、金管の響きが時折汚かったり、決め所のティンパニが弱過ぎる感がある。

コラール主題の金管のバランスは良いのだが、ホルンとトロンボーンの音色がやや汚いのが惜しい。
2015年04月08日 (水) | 編集 |
驚異の習志野高校吹奏楽部に書いた通り、つぶ鹿はブルックナーが好きだ。

ブルックナーについて語ったサイトやブログはいろいろある。

あらゆる演奏を聴いているわけでは無いので、こういったサイトを参考にしたいのだが、どの指揮者の演奏がどうなのかが分かり難い事が多いので、自分でも書く事にしたのだ。

この人のサイトは脱線が多くて、演奏がどのようなものかが分かり難く、◯楽章の◯分◯◯秒からの〜、という表現が頻出して、そのCDを所有していないと分からぬ事だらけだ。

この人物が滋賀県立大学の準教授と分かるまで、あちこち何度もクリックして苦労した。
準教授ともあろう方が改行も御存知ないのだろうか?
とにかく読み難い。

ただ、ブルックナー以外にも自転車、将棋に興味を持ち、N岡T男先生の著作を読んでいると知って、とてつもなく読み難い糞文章を殆ど読んでしまった。

但し、ブルックナーについての考え方はつぶ鹿とは決定的に異なるようだ。


さて、最も好きな曲はブルックナーの交響曲第8番と言い切っているつぶ鹿だが、今回は8番に劣らず好きな5番を取り上げる事とした。


ブルックナーの9つの交響曲の中で、中央に位置する5番は前後の4番6番との脈絡が無いようにさえ見え、巨大で突然変異的な存在のように思える。

山脈に例えると        5    8
                 7   9
            3
           2   4  6
          1

但し、9番は噴火爆発で山頂付近 1/4 が吹き飛んでいる、と解釈している。 尚、0番と00番は聴いた事すらないので除外した。

ブルックナーは自身の交響曲のうち、未完の9番を除くと5番だけは生涯聴けなかったらしい。

その辺の経緯は割愛して、そろそろ曲について語っておこう。


この曲はモーツァルトのレクイエムに似ている、という説があるらしいが、確かに第1楽章の冒頭は似ていなくもない。
それよりも、終楽章がベートーヴェンの第9に似ている、とされている。

終楽章の初めに、1〜2楽章のテーマが現れて、これを否定するような構成や2重フーガを用いるところはそっくりだ。

第1楽章〜第3楽章も良いが、この曲の核心は終楽章にある。

ブルックナーの交響曲の中でも、5番は取っ付き難いと言われているが、この楽章の構造が分からないと、曲の魅力は分かり難い。

3つの楽章のテーマが否定されてからは

低弦から始まるフーガ主題
牧歌的な第2主題
フーガ主題に基づく嵐が第2主題も否定する (つぶ鹿の勝手な解釈)
金管によるコラール主題
コラール主題によるフーガ
コラール主題とフーガ主題による2重フーガ
第2主題の再現
第1楽章第1主題とフーガ主題の絡み
最後はコラール主題が高らかに鳴り響いて終わる。


ブルックナーのファンには、最後にコラール主題が現れる部分が好き、という人が多いようだが、つぶ鹿も同感だ。

結尾部でコラール主題が姿を消し、第1楽章第1主題とフーガ主題が絡みながら盛り上がって、ffでフーガ主題が鳴り渡る。
このままフーガ主題主導で終わってしまうのか?と思いきや、突如としてコラール主題が輝かしく現れる部分は素晴らしい。

8番の終結部と並んで、ブルックナーの作品中、最も胸が高鳴る場面ではあるまいか。

ここがダメだったら、それ以前がどんなに良くても演奏としてはダメ、と思っている。
それまで良かったのに、ここで急にテンポをあげる演奏があるのだが、つぶ鹿にはどうにもいただけない。

第4楽章
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


2002年の来日公演の演奏。
弦や金管の渋い音色が大変良かったので、2010年録音のSACDを買ったのだが、コラール主題が異様に速いのにはガッカリした。
2重フーガの金管やティンパニも妙に弱くて、緩い印象だ。

来日公演がとても良かっただけに、誠に残念だ。
それでも名演には違いないのだが。。。

ルドルフ・ケンペ指揮 
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団


つぶ鹿が最も気に入っている交響曲第5番の演奏がこれ。
ブロムシュテット同様に第2Vnを指揮者の右にする対向配置が効果的だ。

40年も聴いていると、自分なりのブルックナー像ができているのだが、聴いていてそれに最も近く、抵抗が無い演奏だ。

但し、所有しているのはレコードのみ2セットで、困った事にレコード用のシステムはメインアンプが壊れて使用不能。
CDは目下廃盤で入手不能。 
どこかSACDで再発してくれないものか。


朝比奈隆指揮 
大阪フィルハーモニー交響楽団


朝比奈のブルックナーはウドの大木的な演奏が多く、永年聴かなかったのだが、YouTubeで視聴したこれが驚く程良かった。

十数年も聴かない間につぶ鹿の価値観が変わったのだろうか。

オーケストラが3流で、金管なんぞアマチュアのブラスバンド並みだが、1流のシカゴ交響楽団を指揮したものよりこれを採りたい。

但し、第2楽章第2主題の後半でテンポを落とすのは違和感満載だ。
これもレコードでは持っているのだが、CDは廃盤。


ロブロ・フォン・マタチッチ指揮 
NHK交響楽団


つぶ鹿が大好きなマタチッチの指揮。

会場の音響特性が悪い事もあって、録音は悪いし、N響の音色も汚いが、マタチッチの気迫に圧倒される演奏だ。
決め所のティンパニの打ち込みは凄まじいばかりだ。

特に第2楽章が深い響きで愛聴している。

終楽章は豪快だが、終結部でブルックナーの弟子フランツ・シャルクが書き換えた改訂版に従ってシンバル、トライアングル、ブラスバンドを加え、ティンパニが活躍するのだが、チンドン屋のような派手な響きになってしまうのが誠に惜しい。

このメタリックな響きはどう考えてもブルックナーではなく、ワーグナーだ。
シャルク改訂版がワーグナー風の響きで一般受けを狙ったものなので、当然と言えばそれまでだが。

改訂版とも違う妙な所でカットしたり、一部の音符を変えたりするのは違和感があるが、それでもつぶ鹿にとって愛着のある演奏だ。



セルジュ・チェリビダッケ指揮 
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団


この指揮者のブルックナーは余りにもテンポが遅く、到底つき合いきれない事もあるのだが、凄い演奏である事も確かだ。

終楽章第2主題の後半で、音楽が止まるかと思われる程テンポを落とすのは良くないし、最後のコラール主題でテンポをあげてしまうのは興醒めだ。

名物奏者、ペーター・ザードロの凄まじいティンパニの打ち込みを聴くだけでも価値はあると思う。
ザードロといえば、1990年の来日公演の8番の終演後の拍手喝采は凄かった。


以下、何時書くかも分からぬPart2に続く



2014年12月29日 (月) | 編集 |
1週間後の1/5、NHK交響楽団の名誉指揮者だったロブロ・フォン・マタチッチ が他界してから30年になる。

ベートーヴェンの交響曲第9番で触れた、つぶ鹿が最も好きな指揮者だ。

マタチッチを初めて知ったのは、チェコ・フィルを指揮したブルックナーの交響曲第7番だった。
この曲の演奏は沢山聴いたが、マタチッチが断然素晴らしい。

マタチッチにはウィーン交響楽団とスロベニア・フィルを指揮したものもあるが、チェコ・フィル盤が優れている。

第1楽章冒頭の夜明けのような壮大なスケール、主題を弾くチェロの音色の素晴らしさ、第2楽章冒頭の深い響きなど、マタチッチ自身も含めて他の演奏とは別世界のようだ。



この名演のBlu-spec CDが現在HMVで1050円 、つぶ鹿は大部前に2000円で買ったが、それでも安い買い物だったと思う。


1965〜1969年に5回来日しているが、病気がちで70年代には3回にとどまり、80年代は最後の来日となった1984年のみだった。

NHK-FMでは時折海外の音楽祭でマタチッチの指揮を聴く事が出来たが、マタチッチ特有のつんのめるようなリズムで曲が始まると居ても立ってもいられないような興奮を覚えたものだ。


EテレのN響アワーを見れば分かるが、NHK交響楽団は事務的というか公務員的というか、およそやる気の感じられないオーケストラなのだが、マタチッチの指揮の元では別物のように真剣だ。
マタチッチがいかに楽員から尊敬されていたかが伺い知れる。

ベートーヴェン 交響曲第7番


最後の来日時のブルックナー。
実演を聴いた人々の間では超名演とされているが、CDの音が余りにも酷くて情けなくなる。
豪快な金管の炸裂やティンパニの轟きがもっと良い音で聴けたら・・・
SACDの音はかなり改善されているらしいのだが、つぶ鹿はSACDを再生出来るプレーヤーを持っていない。

ブルックナー 交響曲第8番


グリーグのピアノ協奏曲、冒頭のティンパニのクレッシェンドの何と凄まじいことか。
つぶ鹿はここを聴く為にこのCDを買った。



彼の実演を1度しか聴けなかったのが悔やまれる。


2014年08月21日 (木) | 編集 |
Youtubeを見ていたら、 ↓ を発見した。



一聴した感想は、とても高校生の演奏とは思えず、コンピューターソフトの打ち込みか?と思ったくらいだ。

調べてみると、習志野高校吹奏楽部は全国吹奏楽コンクールで金賞を21回もとっている超名門なのだそうで、この演奏もDVDとして販売されている。

習志野高校といえば、高校野球以外に取り柄の無い田舎高校と思っていたので、自分の無知を深く恥じた次第だ。  m(__)m

全校生徒の 1/4 近くが吹奏楽部員というから、野球部以上の人気部なのだろうか。

吹奏楽といっても、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがないだけで、その分管楽器が増強されているので、厚みとエネルギー、爆発力はフルオーケストラと遜色無い。

ブルックナーの8番はつぶ鹿の最も好きな曲で25種類所有しているのだが、その中でもベスト10に入れたい程の演奏だった。

冒頭主題途中のティンパニ (0分23秒〜) が決まっている演奏は滅多に無いのだが、ティンパニ奏者の気迫のこもった打ち込みが素晴らしい。

某指揮者の演奏をリスペクトしている気もするが、ブルックナーの演奏で不可欠な金管の渋い音色を出しているのには感心させられた。

巨匠と言われる指揮者がベルリンフィルやウィーンフィルといった有名オケを指揮した演奏でも、金管の音色が汚かったり派手だったりするものが所有25種類の大半という事実を考えると、驚くべき事だ。

特に再現部最後の金管群 (7分44秒〜) 、結尾部のホルン (10分13秒〜) や最後のトロンボーン他の咆哮 (10分51秒〜) は見事だ。

つぶ鹿がこの楽章の演奏では双璧と考えている2人の大指揮者と比べても、決して劣っているわけでは無い。

チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル


クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘンフィル


残念な事に、展開部と再現部の大部分がカットされているのだが、元来が長大な楽章だし、演奏時間の制限もあるのだろう。
この楽章で最も魅力的な部分だけに、誠に惜しい。


↓ ストラヴィンスキーの「火の鳥」、これも見事な演奏だ。



吹奏楽らしく、 ↓ こんな事もやっている



習志野高校はママチャリで行ける近所なので、いつか生で聴いてみたいものだ。

2014年02月13日 (木) | 編集 |
내가 필요할땐 나를 불러줘
언제든지  달려갈께
낮에도 좋아 밤에도 좋아
언제든지 달려갈께
다른 사람들이 나를 부르면 한참을 생각해 보겠지만
당신이 나를 불러준다면 무조건 달려갈꺼야

짜짜라 짜라짜라  짠짠짠

당신을 향한 나의 사랑은 무조건 무조건 이야
당신을 향한 나의 사랑은 특급 사랑이야
태평양을 건너 대서양을 건너 인동양을 건너서라도
당신이 부르면 달려 갈거야
무조건  달려갈꺼야

짜짜라  짜라짜라  짠짠짠
짜짜라 짜라짜라  짠짠짠